池の上で飛ばなくなるのは、水蒸気のせいではない

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「池越えのショットが池に吸い込まれるのは、池の上に水蒸気が立ちこめていて、 空気が重くなっているからだ」。

よく聞く説明です。筋は通っているように思えます。 水は空気より重い、水蒸気を含んだ空気は重い、重い空気の中ではボールは飛ばない——。

最初の一歩が間違っています。 湿った空気は、乾いた空気より軽い。 飛距離レンジファインダーと同じ弾道モデルで、どれくらい違うのかを計算しました。

水蒸気は空気より軽い

空気はおよそ窒素 78%、酸素 21% の混合気体です。分子量はそれぞれ 28.0 と 32.0、 平均すると乾燥空気で 28.96 g/mol。

一方、水分子 H₂O の分子量は 18.0 g/mol です。酸素原子ひとつ(16)に 軽い水素がふたつ付いているだけなので、窒素分子よりも軽くなります。

ここで効いてくるのが、気圧が決まっていれば同じ体積に入る分子の数も決まる、という性質です。 湿度が上がるということは、その数の決まった枠の中で、重い窒素や酸素が、軽い水分子に置き換わる ということです。だから湿った空気は軽くなります。

「湿気で空気が重い」という体感は、汗が蒸発しにくくて不快だという感覚であって、 空気の密度のことではありません。

どれくらい軽くなるか

海面・気圧1013hPa での空気密度です。

気温 湿度0%
(乾燥)
湿度50% 湿度100%
(飽和)
0%→100%の変化
10°C 1.2466 1.2438 1.2409 −0.46%
20°C 1.2041 1.1988 1.1936 −0.87%
30°C 1.1644 1.1552 1.1459 −1.58%
35°C 1.1455 1.1335 1.1214 −2.10%

単位は kg/m³。気温が高いほど差が大きいのは、暖かい空気ほど多くの水蒸気を含めるからです。 30°C で飽和していても、水蒸気が占める圧力は全体の 4.2% にすぎません。 湿度の効果が小さいのは、そもそも入れる量がこの程度だからです。

弾道計算にかけてみる

池越えが問題になるのは夏場なので、気温30°Cで計算します。 池の上が飽和(湿度100%)、普段のフェアウェイが湿度50%という設定です。

番手 基準キャリー 湿度50% 湿度100% 差
ドライバー 200 m 203.46 m 203.94 m +0.48 m(+0.52 yd)
7番アイアン 128 m 130.31 m 130.63 m +0.32 m(+0.35 yd)
PW 96 m 97.37 m 97.56 m +0.19 m(+0.21 yd)

符号が逆です。池の上の湿った空気では、ボールはわずかに伸びます。

そして何より、量が小さい。7番アイアンで 32cm。 130m 打つうちの 0.25% です。これで池に届かなくなることはありません。

気温別に見ても、差は最大で半メートルに届きません。

気温 7番アイアン 湿度50% 湿度100% 差
10°C 127.20 m 127.31 m +0.10 m
20°C 128.78 m 128.96 m +0.18 m
25°C 129.55 m 129.79 m +0.24 m
30°C 130.31 m 130.63 m +0.32 m
35°C 131.06 m 131.48 m +0.42 m

極端に振っても同じです。カラカラの乾燥空気(湿度0%)と、 池の上の飽和空気(湿度100%)を 30°C で比べても、差は 64cm でした。

別の言い方をすると、湿度を50%から100%に上げるのは、気温を 30°C から 32.1°C に上げるのと同じです。 2°C ぶんの暖かさ。それが水蒸気の正体です。

では、なぜ池に入るのか

水蒸気でないなら、何なのか。同じモデルで、池越えの場面に実際にある要因を並べてみます。 すべて 30°C・湿度100%・7番アイアン(基準130.63m)からの差です。

向かい風:湿度の17倍

向かい風 キャリー 差
1 m/s 129.00 m −1.63 m
2 m/s 127.20 m −3.43 m
3 m/s 125.22 m −5.41 m
5 m/s 120.70 m −9.93 m

そよ風と言える 3 m/s で 5.4m。湿度の効果(+0.32m)の 17倍で、向きは逆です。

池の上には木も建物もありません。ティーイングエリアで感じる風より、 ボールが実際に受ける風のほうが強いことは十分あり得ます。 「風はたいしたことない」と判断したぶんが、そのまま距離の不足になります。

水面の上の気温:湿度より大きく、向きは逆

水は暖まりにくく冷めにくいので、夏の日中は水面の上のほうが周囲より涼しいことがあります。 冷たい空気は重いので、これはボールを飛ばなくする方向に働きます。

気温 キャリー 30°Cとの差
29°C 130.46 m −0.17 m
28°C 130.29 m −0.34 m
27°C 130.12 m −0.50 m
25°C 129.79 m −0.84 m

3°C 低ければ 50cm 短くなります。湿度の効果(+32cm)を打ち消して、なお少し余ります。

つまり「池の上は飛ばない」という体感に物理的な裏づけがあるとすれば、水蒸気ではなく水温です。 ただしこれも数十センチの話ですし、季節が変われば符号も変わります (秋から冬は水のほうが暖かいので、逆に伸びる側に働きます)。

ばらつき:桁がひとつ違う

ここまでの要因は、すべて数十センチから数メートルでした。 これに対して、同じ番手を同じように振ったときのキャリーのばらつきはどうでしょうか。

130m のショットで考えると、ばらつきが ±3% なら ±3.9m、±5% なら ±6.5m です。 水蒸気の効果 32cm とは、桁がひとつ以上違います。

池は手前にある

そして、これが本題かもしれません。

池越えというのは、ミスの方向によって罰が極端に違う配置です。 いつもどおりのばらつきで 4m 短く落ちたとして、池がなければ花道から寄せるだけ。 池があれば1打罰です。同じミスの、罰だけが変わっている。

池に入った球はよく覚えています。同じ日に同じだけ短かった、池のないホールの球は覚えていません。 「池の上だと飛ばない」という印象は、ここから作られている可能性があります。

霧が出ていたら?

水蒸気は気体なので、ボールの進路には何もありません。 では、液体の水滴が浮いている霧ならどうか。これは水蒸気とは別の話です。

計算してみると、空気の密度を1%上げるには、1m³ あたり 11.5g の液体の水が 浮いている必要があります。1リットルの水を、一辺1mの箱に霧状に撒き続けるようなものです。 そこまでの霧の中ではボールの行方どころか、池の対岸も見えません。

現実の霧の中を飛ぶぶんには、密度への寄与は水蒸気の効果よりさらに小さくなります。

まとめ

  • 湿った空気は乾いた空気より軽い。水分子(18)が窒素(28)や酸素(32)より軽いため
  • 30°C で湿度50%→100% にしても、7番アイアンのキャリーは 32cm 伸びるだけ。気温2°Cぶんに相当
  • 池越えで実際に効くのは向かい風(3m/s で5.4m)とばらつき(±3%で±3.9m)。桁が違う
  • 水面の上が涼しければ飛距離は落ちるが、それは水蒸気ではなく気温の効果で、しかも1m未満
  • 池が罰するのは「短いミス」だけ。印象が強く残るのは、距離が落ちたからではなく罰が重いから

池越えで番手を上げるのは、理由としては正しくありませんが、判断としては悪くありません。 効いているのが水蒸気ではなく、風とばらつきと罰の非対称性だというだけです。


ここでの計算は、湿度を空気密度の変化としてのみ扱っています。 湿度による粘性の変化はこの速度域では無視できる大きさです。 風は高さによらず一定、打ち出し角とスピンは番手ごとの代表値を使っており、転がりは含みません。

自分の番手とその日の条件で確かめるなら、飛距離レンジファインダーに 気温・湿度・風を入れてみてください。モデルの詳細は運営者情報に記載しています。